俗物による自戒ノート。

家庭と仕事の反省点

力配分。

主に、プロジェクトAとBに関わっている。それぞれにノルマがある。支店長が力を入れているプロジェクトはAだが、会社としてはプロジェクトBに力を入れているように思う。これは随分と不思議な状況だ。しかし実際にそうなのだから仕方ない。常識的に考えても力を入れるべきプロジェクトはBのほうだ。

 

さて、AもBもノルマを達成できれば良いのだが、halberの力量では困難という状況。上司(支店長、課長)からやいのやいのと急かされるのはプロジェクトAに関するノルマであるが、個人的にはプロジェクトBに力を入れている。最悪、プロジェクトAに関するノルマは未達成でも仕方ないと考えている。絶対に口にはしないし、気取られてもいけないが。

 

もちろん、支店長や課長の前では「両方達成するつもりです!」などと法螺を吹いているが実際、プロジェクトAについてのノルマは絶望的だ。それでも、プロジェクトBのノルマをこなせないよりはいいと考えている。

 

一番最悪なのは、二兎追うあまりにどちらも未達成で終わること。

 

そしてどちらを取るかという判断については、支店長や課長の趣味ではなく、社内的にどうなのか?ということを念頭において自分で判断する。

 

手と足と頭。

手と足を動かせば、なるようにはなる。手を動かして書類を作り、足を動かして客のところに行けば、あとは幸運の女神次第で契約がとれるだろう。

 

しかし頭だけ動かしていては、何も始まらない。頭のなかで悶々と考えていても、幸運の女神は微笑んでくれない。

 

まず、手足を動かすこと。行動すること。

癒されるということ。

「子どもの顔を見ると仕事の疲れも吹き飛ぶ」などと言う人がいる。

 

そんな馬鹿な。と常々思っていた。子どもの顔を見ても疲れがとれるはずがない。

 

けれども、昨日、仕事で疲労困憊して帰宅して娘の寝顔を見ていたら、なんとなく言わんとしていることが理解できた。

 

疲労は取れないが、思考がクリアになる。

 

仕事で疲弊すると、halberは思考が拡散してしまう。一つの物事を考えることが困難になり、話すことも支離滅裂になる。頭に霞がかかっている状態。そして結局何事も進まない。

 

しかし、不思議と我が子の顔を見ると、拡散した思考がクリアになっていく。頭に纏わりついた霞が取り払われる感じ。ああなるほど、世に言う「疲れがとれる」とはこのことを指すのか。

 

たぶん、癒されるにあたっては、相手が子どもである必要はあるまい。

 

配偶者かもしれないし、飼い猫かもしれない。場合によっては無機物かもしれない。なんにせよ「癒されるものをもつ」というのはストレスの多い現代社会に生きるうえでは不可欠である。

 

そしてこの場合の癒されるとは、「疲れがとれる」というよりも、(疲れは睡眠でしか除去できない)、思考がクリアになるということである。

自己啓発書としての『人口論』

人口論』は、人口増加が食物増加が上回りそれが貧困などを生むことを説いた人口学の古典的名著である。たしか高校の地理の授業でも名前だけは出ていたはず。

 

さて学生時代にこの本を読んだときに感銘を受けたのは、「なぜ神はそのように(人口増加>食料増加)世の中を作り給うたか?」という考察をしているところだった。(非キリスト者であり当時は全く宗教に関する知識もなかった自分にはそもそも「なぜ神はそのように世の中を作り給うたか?」という発想が存在し得ることすら衝撃的であった。)

 

食物がどんどん増える仕組みであれば人間は苦労せずにすむ。それが良い世の中ではないのか。なのになぜ、神はそうしなかったのか。

 

マルサスの答えは、能力を開花させるためあえて人間を頑張らざるを得ない環境に置いているというものだ。

 

こうして、刺激を休むことなく与え続けるために、また、人間に土地をすっかり耕せて、人間を慈悲深い神の計らいにますます寄り添わせるために、神は、人口が食物よりも速く増加するように定めた。(p259)

 

なるほど、人口増加の法則はさまざまな問題を引き起こすけれども、それはじつは神の全体的な目的を阻害するものではなく、むしろ促進するものなのだ。それはたしかにそうだろう。人間をあらゆる方面で努力するように刺激するし、全体として精神の成長を促すような場面や印象を、さまざまな形で無限につくりだすからである。(p263)

 

なるほどそういう考えもあるのかと、当時は衝撃を受けたものだ。この考えは、今でも役に立っている。仕事で辛い局面に遭遇したときは、この一文を思い浮かべるようにしている。いささかマッチョな思想ではあるが、こうでも考えないと理不尽や世の中を生きていくことはできぬ。

 

そして、よくいわれるとおり、人間はいままで出会ったことのない異常な事態にまきこまれると、それと取り組むのにふさわしい精神力ができていくものなのである。(p266)

 

 

人口論 (光文社古典新訳文庫)

人口論 (光文社古典新訳文庫)

 

 

 

 

良いことと悪いこと。

禍福は糾える縄の如しなどという格言を持ち出すまでもなく、良いことと悪いことは交互にやってくる。

 

不測の事態が相次いで数日前まで追い込まれていたパンク寸前の状態であったものが、思わぬ幸運に恵まれたおかげで(まさかこの案件がまとまるとは!)、今はとても気分が高揚している。

 

そしてまたしばらくすればツイていないことが発生して落ち込むのであろう。世の常である。

 

大事なこと。何をやってもうまく行かない時もある。そういうときでもとりあえず手と足は動かしておくこと。そういうときは、あまり先のことを考えないこと。

仕事がうまく行かない時は。

方法は二つある。

 

開き直って眠ること。遊ぶのではない。「眠る」こと。心配事のほとんどは睡眠することで、解決策とまでは言わないまでも、以前よりも良い案が浮かぶことが多い。

 

もう一つは、手と足を動かすこと。せっせと書類を作成して、営業をかけるのだ。今後の成績見込みとか、先のことを考えてはいけない。とにかく、手と足を動かすこと。下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる。

予算(ノルマ)が達成できなかったらどうしようか。

何も思い煩うことはない。

 

社内での評判が落ちて、ボーナスの査定に響くだけだ。あまりに未達が続くと会社に居づらくなることもあるだろう。ならばしかたない、何か別の仕事を探して口に糊するまでだ。

 

そのくらいの気持ちでいかないと、あまりにも窮々と仕事をしていては幸運の女神にも見放される。いやなにより、精神や身体を患ってしまっては元も子もない。

 

心身健康ならば、何らかしらはできるものだ。焦るべからず。