俗物による自戒ノート。

家庭と仕事の反省点

目標としていた資格試験に合格した、次なる目標は。

とりあえず某試験に受かった。

しかし、これで満足はしない。
これで満足していては、何物にもなれない。

仕事をこなし、家事をして、育児もしながら勉強もする。日中や休日は子供の相手で忙しい。だから、朝起きてする。5時? そんなんじゃだめだ。それじゃ何者にもなれない。

3時半。毎日3時半以降に覚醒した最初の時点で起床して勉強だ。

元来、勉強は嫌いなタチではない。ただ、遊び半分のふわふわした気持ちじゃ、試験には受からない。本気でやらないと。ゲームとて、ハマってるときは夜を徹して本気でやっただろう? それと同じ。

30も半ばになると、人生の終わりを意識する。目先の営業成績をあげることや社内派閥争いをうまくやることも大事。それを諦めたら、それは仙人だ。

ただ、それだけではだめ。

実際、俗物であるし、俗物であることを周囲にアピールすることも大事(仲間、同一「部族」であることのアピールとして)。

けれど、どこかでそれを超えた何かを見据えることも必要。仙人になる必要はないが仙人的な要素は必要だということだ。

仙人的な要素は語るだけではだめだ。実践しないと。

それが、自分の場合は早朝の勉強であり、予備試験に受かることであり、司法試験に受かるということ。

仙人的な要素は、まわりに語る必要はない。浮世離れしたアホと思われるだけだから。早朝起きて勉強してることもその目標も、おくびにも出さない。

そう努力は見せない絶対に。涼しげにやるのだ。何もなかったように、涼しげに、達成してから話す。そういえばそうですね、そんな感じで。

とはいえ自分は俗物だから、王様の耳はロバの耳をしたい。よって、このブログに書くこととした。 以上