俗物による自戒ノート。

家庭と仕事の反省点

家族に乾杯。

母親から間接的な経済的支援要請の連絡あり、気持ちが滅入る。道義的にも法的にも扶養の(努力)義務があるので無下にはできぬ。

もっとも経済的支援をするとしても今度は妻が黙っていない。「うちだって楽じゃないのに、子供たちのために使うお金が減る」等々。

そしてたとえ支援しても、母親から感謝されることはないのだ。養って当然という意識、なんから金額が不足しているだのなんだの文句をつけてくること必定。

ふと、岡田尊司という精神科医の本を思い出す。宗教等によるマインドコントロールの恐怖を説いた本。曰く宗教は家族との繋がりを断ち切ることを基本とする。関係性を断つことで洗脳しやすくなるそうだ。

なるほど、宗教というのはよく出来たものだ。「家族との関係を断ちたい」という人間の欲を見抜いている。そして道徳的にも正当性を与えてくれる。

新約聖書には親子の繋がりより信仰の重要さを訴えるエピソードに事欠かない。日本霊異記には親に金を返せを怒る息子に、なら先にお前が小さい時に飲んだ乳を返せと凄む老母の話がある。

洋の東西を問わず、家族というのは悩ましいものなのだ。「ほだし」という古語には 係累という意味に加えて、拘束するものという意味があることからもよく分かる。

某政党の改憲案で一番恐ろしいのは軍に関する部分ではなく、家族の相互扶養義務を強化する部分だ。この改憲規定案がある限り、じぶんはどこまでも護憲派である。

嗚呼、久しぶりにこの悩ましい気分。
こんな時は、聖書か徒然草日本霊異記を読むに限る。人生で迷ったとき、頼りになるのはこれらの本である。そしてそれらに飲み込まれないために、岡田尊司の『マインドコントロールの恐怖』とリチャード・ドーキンスの『神は妄想である』も併せて読むといい。