俗物による自戒ノート。

家庭と仕事の反省点

持ち家は慎重になるべきである。手持ち現金(流動性資産)の重要性について

家賃は捨て金、という煽り

「いまの家賃と同じ月々の負担で、マンションが買えますよ!」

不動産屋の定型句である。事実、「家賃は捨て金。どうせなら持ち家を」という考えの人は自分の周りにも多い(義両親とか。ただ、無理もない。この世代(団塊前後)は、土地神話の中で青年期を過ごした)。

また、会計的な観点からすると、家は購入するのが良いと公言する者もいる(公認会計士の山田寛英氏など)。

しかしながら、これらの人々にはリスク管理の観点がすっぽりと抜け落ちている(無論、不動産屋は「確信犯」だ)。

利子負担だけでは説得力に欠ける

賃貸派のなかには、家賃のために金を借りることの愚かさを説くものがいる。これはこれで一理あるが、利子も含めた会計的な検証をしても、尚持ち家派に軍配があがる場合には反論できない。前述の山田寛永氏はそのような比較を行なっている。そして現在の日本は空前の低金利だ。説得力に欠ける。(それでも利子負担は馬鹿らしいが)

本質は、手持ち現金が減少すること

いかに、頭金をしっかり準備でき、利子負担を抑えることができても、なお不動産を購入する場合は慎重になったほうがよい。

なぜなら、あなたが頭金として支出しようとしている現金(現金とはいうが、証券でも、株でもとにかく流動性資産のことを言う)は、何かあったときに使えるはずだった現金だからだ。

不確実性が増す時代、現金はよほど大事にするべきである。何かあったときに頼りになるのは現金である。ということは商売人であれば当たり前の常識であるが、給与所得者にはこの観念が薄いように思う(かく言う自分も、零細企業の経営者と金の話をしてからだ。現金の重要性を肌で理解し始めたのは)。

予想外の事があったとき、現金があれば対応策の幅が広がる。

リストラ、交通事故、冤罪、子どものリスク(いじめ、病気、事件、事故)、訴訟リスク、隣人トラブル。

不確実性が増すこの時代、予測などはアテにならない。ただ選択肢を広くもっておくことしか、対応策はない。



持ち家を購入する資産がある、と思っているあなた。本当に、それだけの資力があるのか。不動産という、投資対象としては、これから上がる見込みの少ないものに、財産を注ぎ込んでも大丈夫か?

資産3分の1法、というのは古典的で直感的だが、有用である。4000万円の家を買うなら、少なくとも1億円以上の資産がなければ手を出すべきでない。

だからと言って、借り入れをしてバランスシートを拡大すれば、今度は利子負担があなたに重くのしかかる。

成年後見人について

認知症などで判断能力が十分ではない人の生活を支える成年後見制度をめぐり、最高裁判所は18日、後見人には「身近な親族を選任することが望ましい」との考え方を示した。後見人になった家族の不正などを背景に弁護士ら専門職の選任が増えていたが、この傾向が大きく変わる可能性がある。

(朝日新聞)

いままで面倒を見ていたお爺ちゃん、おばあちゃんの法的手続きや金銭の管理を、いきなりポッと出の司法書士がやります。諸々の手続きやお金の出し入れについてはその司法書士の許可がいります。しかも毎月数万円の報酬を貰います、などと言われて誰が納得するものか。

成年後見人に専門職を増やそうというのは、制度を設計した国の役人と業界団体(おそらく主力は弁護士増加で食えなくなった司法書士たち)の悪ノリである。

こういう無茶な制度設計をして、唯々諾々と国民が従うと思っているあたりに、本当に役人の想像力が欠如しているとしか思えない。制度の活用自体がされないに決まっているではないか。

親族後見人による資産の横領が専門職後見人の増加だというが、司法書士の横領だってニュースになっている。呆れ。

成年後見人がついてないと、銀行口座が作れなかったり、不動産の売買ができない。ひと昔前は融通を利かせてくれる金融機関や不動産屋も多かったが、いまの時代、そんなことをするところは減っていると思う(明確に違法行為なので)。

権利保護のために、成年後見人という制度には賛成。そして成年後見人がないと口座が作れない等の不便が生じる。でも凄く使い難い制度になっている。それもこれも、業界団体と業界団体の仲の良い政治家とその政治家の顔色を伺う役人たちが原因。

この構図は成年後見人制度だけの話ではないが…

幸せになるということは即ち不安の種が増えるということ。

子供の成長は楽しい。一緒に遊ぶと癒される。それだけに「健康に育つだろうか」とか「犯罪にあわないだろうか(または犯罪をしないだろうか)」という不安の種にもなる。

人間は、利得よりも損失に過敏に反応するようにできている。ひとたび、子供を持ち幸せを感じると、その幸せな状態が標準的なものとなる。(「参照点」というやつ)

しかし、子供というのは脆いものなので、ちょっとしたことで健康を害するし、犯罪者に狙われたり、あるいは他人に危害を加えたりすることもある。かなりの不安要素だ。

波のある人生を望むのなら、それもよかろう。ただ、自分のように安定志向にも関わらず、「家庭を持つ」「子供を持つ」という幸せな状態になるのも考えものだ。常にそれらが消え去る危険性に脅かされるから。

家庭や子供に限らず、金銭的な豊かさ、世間の評判などもそうだ。一度それらを得ると今度はそれを保持するために苦心しなければならない。

「あなたがたは地上に富を積んではならない。富は、天に積みなさい」(マタイによる福音書)とはよく言ったものだ。

育児によって余暇や仕事に専念できる時間が減少することについて。

結婚していなければ、あるいは子供がいなければ、もっと仕事ができたし、遊ぶこともできただろう。本だってもっと沢山読めたし、色んなところに旅行に行くことができた。

けれども、人間の処理能力には限界があるから、あんまり裁量を与えられても戸惑うものだ。行動経済学で言うところの【選択のパラドックス】だ。

多すぎる選択肢を前にすると人は無力感を覚え、満足度は減少する。

自身の大学生活を振り返っても、自由な時間が多すぎても活用しきれないものだ。

だから、人生においてはある程度の制限が課されている方がよい。程度問題だから制限されすぎてもダメだが。

ゆえに、〈できるだけ選択肢の多さを求めつつも、選択肢が少なくても不満を持たず、その状況を活用するという姿勢が一番いい〉(『人生にゆとりを生み出す知の整理術』p61)というphaさんの意見に賛成だ。

家庭とか仕事とか趣味とか。

フィールドは沢山持っておいた方がいい。

フィールドが多数あると気がまぎれるから。

フィールド1で不調でも、フィールド2で好調だとそこに主軸を置けばいい。風が吹いてないフィールドでは何をやってもうまくいかないものだ。好調なフィールドにリソースを注ぐべし。

フィールド2で戦っているうちにフィールド1の風向きが変わってきたりする。そうなれば、フィールド1にもリソースを傾ければいい。

好調か不調かは運とタイミング。フィールドが少ないと、不調なものを続けなくてはならない。戦える場が限定されてしまう。

と、いう意味でワークライフバランスという考え方に賛成。

社会に参加しているという実感。

社会に参加しているという実感は大切。

お金を稼ぐとかよりもよっぽど大事だと思う。つまるところ社会に参加しているということが即ち生きるということではないか。

社会への参加と言っても、社交的であったり人と交流している必要は必ずしもない。誰とも交流しなくても、例えばモノを介して社会になんらかの影響を与えていれば、それは社会に参加していることになろう。

ウィキペディアなんかをみると「引きこもりやニートは社会参加が困難になる」と書かれているが、いま一つピンとこない。引きこもりやニートであっても、何らかしらの役割や影響を人間社会に与えていれば、それは社会参加していることになる。(ブログで自身の生活を記し、それを見た人が影響を受けるならば、それはhalberの言うところの社会参加である。)

社会から役割が与えられなかったり、参加しているという実感がないと、人間という動物は途端に弱ってしまう。

不動産、賃貸か購入かを巡る雑な考察。

公認会計士の立場としての私の結論から言えば、「買う」ほうが今はトク、である(p44)

その考察過程は以下のとおり。

①賃貸の場合
・無駄金の合計=30年間で3000万円
毎月家賃8万円×12.5か月×30年の計算。条件として2年更新で年間0.5か月分の家賃を含む

②購入の場合
・無駄金の合計=30年間で合計951万円

利息1%(固定)で3000万円を借り、30年利払いで計算した利息が473万円。条件として不動産取得税や仲介手数料など、買う際の諸費用として1割にあたる300万円。さらに固定資産税と都市計画税が30年分として178万円(3000万円×0.7×1/6×1.7%×30年=178万円)

差は2049万円となった。賃貸のほうが、はるかに無駄金が大きくなることが分かる。なお修繕費は、さらに次の30年後に対して効果が及ぶ支出なのでここでは考慮していない。また「元本3000万円の支払いが入っていない」とおっしゃる方がいるかもしれない。しかし3000万円の現金については、3000万円分の所有権に交換しただけであり、購入者から見て、無駄金と呼ぶべき性質ではないだろう。(p45-46)

いかにも公認会計士らしい計算である。

しかし看過できない点がある。そもそも3000万円(利子抜き)もの負債を負うことに対する流動性低下リスクを軽視している。親の介護や自身の収入低下などによって生活レベルを変えなくてはいけなくなったときに対応できなくなるではないか。

その借金について、〈3000万円分の資産に変わっただけ〉というのが、いかにも公認会計士らしい「オタクの考え」である。(そもそも、3000万円で購入した不動産を、3000万円の現金に換えることがいかに困難なのかは、この本でも説かれている通りではないか。)

不確実性を増す時代、不動産などという流動性の低い資産を持つことのリスクは、意思決定において加味すべきものである。〈3000万円の現金については、3000万円分の所有権に交換しただけ〉などという認識では、ブラックスワンと出くわした際に嘆くことになるだろう。