俗物による自戒ノート。

家庭と仕事の反省点

社会に参加しているという実感。

社会に参加しているという実感は大切。

お金を稼ぐとかよりもよっぽど大事だと思う。つまるところ社会に参加しているということが即ち生きるということではないか。

社会への参加と言っても、社交的であったり人と交流している必要は必ずしもない。誰とも交流しなくても、例えばモノを介して社会になんらかの影響を与えていれば、それは社会に参加していることになろう。

ウィキペディアなんかをみると「引きこもりやニートは社会参加が困難になる」と書かれているが、いま一つピンとこない。引きこもりやニートであっても、何らかしらの役割や影響を人間社会に与えていれば、それは社会参加していることになる。(ブログで自身の生活を記し、それを見た人が影響を受けるならば、それはhalberの言うところの社会参加である。)

社会から役割が与えられなかったり、参加しているという実感がないと、人間という動物は途端に弱ってしまう。