俗物による自戒ノート。

家庭と仕事の反省点

心の拠り所を集中しすぎてはならない。

心の拠り所というのは複数持つのが望ましい。可能であれば無根拠・無実態のものが望ましい。

 

(ひろゆきの言う「根拠のない自信」というのはまさしく慧眼であると思う。

 

自信とか、心の拠り所というのは根拠がなくてよい。実態がなくてもよい。不合理であればあるほど強い。

 

逆にその対象が具体的であればあるほど脆さは増す。

 

たとえば、「可愛い娘がいるから辛い仕事も頑張れる」という人は、娘に何かあったらどうするのか。会社の先輩に、子どものことで気を病んでしまった人がいる。

 

ワークライフバランスということが提唱されるが、家族に心の比重を置きすぎるのもまたリスクを伴う行為だ。

 

では、友人に心の拠り所を求めるか?それもまた現実的ではない話だ。

 

では、出世に心の拠り所を求めるか?出世競争に敗れれば、その時はすべてが崩れ去る。

 

人とか金とか学歴とかそういったものは弱い。逆に、不可視の信念や無根拠な自信、あるいは非科学的な神(または無神論という信念)、こういったものは強い。

 

会社に尽くす気持ち、家族を愛する気持ち、豊になりたいという向上心、こういったものも大事であるが、最後の一線に置くべきものではないように思う。

 

 

常識外れの親

母が懇意にしている知人が病に臥せっているらしく、その療養費の無心をされる。

 

どうしてかくも常識外れなのか。

 

己の老後の資金も覚束ないのに、どうして貴方は知人の面倒など見ているのか。そしてなぜその負担を息子にさせようとしているのか。

 

理解に苦しむが、この人はそういう人なのであるし、理解をする必要はない。そしてまた、生物学の基礎から言えば、自分にもこの頓珍漢な言動をする人物のDNAが半分含まれており、それが自分という気質を形づくっているのだということを肝に命じなければならない。

仕事の悩みは家庭の悩みにより束の間忘れ去ることができる。逆もまた然りである。

ワークライフバランスの真髄はここにある。

 

仕事で追い込まれている時は家庭内の不和を忘れ去ることができる。家庭内のことで頭を抱えているときは仕事上の悩みを忘れ去ることができる。

 

悩みは、別の悩みによってしか紛らわすことができないのではないか。

 

では仕事の悩みもなく家庭の悩みもなく、さらに経済的な悩みもないと仮定しよう。悩みがないのが一番ではないのなという当然の疑問。

 

自身の経験に照らすと(大学生時代がそんな感じに近かった)、人間身近な悩みがなくなると逃れ得ない根源的な悩みについて考えるようになる。どんなに金持ちでも、どんなに優秀でも逃れることのできない「死ぬこと」に対する悩みを考えだす。禄なことにならない。

 

(だから逆に、「死」とかそういうことを突き詰めて考えるためには、仕事とか家庭とか、そういう卑近な悩みがないほうが良い)

まず手と足を動かすこと。

手と足を動かすといい。頭は最初にちょっと動かして、あとは手と足だ。本当に要領の良い人間なら頭を動かして最短経路で体を動かせばいいと思うが、自分も含めてそうではない人間のほうが多数派だと思う。

 

だから、何をすべきなのかわからない・何かを為せなくて不安だというときは、もう頭で考えるのをやめて兎に角、手と足を動かせ。

 

手と足を動かすとそのうち進めなくなるから、そうなったらまたちょっと考えて、そしてまた手と足を動かせ。

 

最短経路や効率ばかりをさかしらに主張して挙句動けなくなったら意味ないじゃないか。みんながみんなホリエモンのように賢くはないんだ。要領とか、そういうのはさておいといもまず動かないといけない。

 

幸運の女神は遅巧よりも拙速を好む。

不完全な戦力・準備

不完全な戦力・不十分な準備で戦わねばならないもどかしさ。あと少し時間があれば、あと少し人手があれば、もっとマシなカタチにできるのだが。

 

しかし与えられたモノでなんとかやり繰りするしかない。弱音を聞きたい上司などはいない。

 

もっとも、ノルマのために「なんとかしなければならない」という意識では身がもたない。ゆえに「なるようになる」というくらいの気持ちでいくのがよい。

リスクをとらねば逆に追い込まれる。

仕事でも人生でも、ノーリスクを旨としていてはジリ貧になるばかりである。麻雀でも、ベタオリしていれば振り込みこそ回避できるが、その先にあるのはツモられ貧乏だ。

 

だから、然るべきときには、ある程度のリスクを承知で勝負に出なければならない。僅かなリスクから逃げてばかりいては、そのうちとんでもない状況に追い込まれ、いよいよ分の悪い勝負に挑まざるを得なくなる。

計画から外れても上手く行く時は上手くいく。

失敗と成功は紙一重であり、そこに至るプロセスは表裏一体である。

 

ミッドウェー海戦における米空母攻撃隊のめざましい成果は、必ずしも当初に予定されたシナリオどおりの作戦行動によってもたらされたものではない。

 

「予想外の出来事にも臨機応変に対応した結果、米国に勝利が転がったのだ」ということも言えるだろうが、しかし、こんなことは後から振り返ればこそ「臨機応変」といえるのであって、もし失敗していれば「右往左往」と表現されていたことだろう。

 

結果として効果的な波状攻撃に繋がった攻撃隊・爆撃隊発艦を巡るスプルーアンス第16任務部隊司令官の0307から0428の意思決定についてなど、勝利したから「果敢な意思決定」なのであって、敗北していれば「意思決定の混乱」となっていただろう(日本海軍における兵装転換のドタバタがそう評されているが如く)。

 

何が幸運に繋がっているかわからないものであるから、予定通りにことが進まないからとて投げやりになってはいけない。小さな失敗や低迷は、後の大勝の布石かもしれない。

 

評価は後から、然るべきときに下される。いまは、一生懸命やるしかない。