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俗物による自戒ノート。

特に、ままならぬ仕事、毒親からのストレス、神経質な妻そして愛しい子どもについて。

体外放出によりストレスは解消されるということ。また、相談の際は言いっぱなしで構わないということ。

社会人になりたての頃、酒の場で、会社の先輩に言われたことがある。

 

「ええかー、ストレスが溜まったときはなぁ、体の中から液体を出したらスッキリするんやぞ!」と。

 

その際、先輩が列挙した液体というのは「涙・汗・精液」であったと記憶している。(下品な話の好きな方だったので3点目に重点が置かれていた)

 

だからストレスが溜まったときは運動して汗をかくなり、感極まって大泣きするなり、マウス片手に自慰行為に励むなどして適宜解消するのがよいという教え。

 

これはあながち間違いではないと思っている。精神的に参った時に運動すると気晴らしになるし、辛い時は(人前でやるのは格好悪いが)泣くのもいいし、どうしようもない衝動に駆られたときは射精するとスッキリする。

 

付け加えるとすれば、体の中から外に出すものは液体に限定されないということ。たとえば「言葉」でも構わない。

 

悩みを抱えている時は、誰かに相談することで随分と気持ちが落ち着く。

 

ここで大事なのは、相談に対する回答はオマケみたいなもの(それどころか蛇足とすら言えるかもしれない)で、悩みを聞いて貰うだけでいいということ。相談の肝は「自分の中の悩みを言語化して外に放出する」ということにあるから。

 

哲学者の國分功一郎氏は相談の本質を〈物質化した観念の体外放出〉と表現した。まさに的を射た表現である。「相談」というと、相手のあることだし、どうしても身構えてしまう(相手のことを意識してしまう)が、観念の体外放出と考えればそのハードルも低くなる。

 

運動をするとき、誰が流した汗の行く末を気にするであろうか。号泣するとき、誰が流した涙の行く末を気にするであろうか。

 

それと同じように、悩みを相談するときも、言葉の行く末を気にかける必要は全くないのである。それよりも、悩みが大きすぎて体外放出できないという事態をこそ、重く見るべきである。

 

悩みを言葉にできない状態というのは、体を動かす気力もない、悲しいけれども泣く気力もないというほどに事態が深刻であるということの表れなのだから。

 

 

哲学の先生と人生の話をしよう

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