俗物による自戒ノート。

家庭と仕事の反省点

心の空き家問題。(心は空き家にすべからず)

信念や信仰、イデオロギー等を持たないということは、自由な発想が可能であるという利点がある反面、悪意を含んだ外部からの思想または内部より湧き起こる有害な思考に対して極めて無防備であるというデメリットがある。

洗脳とも言うべき筋の悪い新興宗教や、過激な政治思想に嵌る時というのは、「心の空白」を突かれた時である。自己のネガティブな思考に押し潰されそうになる時も同様。

ゆえに、思考の自由度とトレードオフにはなるものの、心の拠り所となりうるような信念・思想・信仰・主義などを持ち合わせておくことは、心を侵食する毒素に対する予防策となる。

特定の宗教や思想に傾倒せよ、ということでは決してない。多少の自由を対価としてでも、心の拠り所を確立しておくべしということを主張したいのである。(それは家族であるかもしれないし、二次元の美少女であるかもしれない。ただし、これらは拠り所としては脆弱である)

このことについては、我が国が誇る人生の達人、兼好法師の分析が素晴らしい。

また、新訳聖書にも、示唆に富む記述がある。

主有る家には、漫なる人、心のままに入り来る事無し。主無き所には、道行き人、妄りに立ち入り、狐・梟様の物も、人気に塞かれぬれば、所得顔に入り住み、木霊など言ふ、怪しからぬ形も、顕るる物なり。
徒然草』(235段)

汚れた霊は、人から出て行くと、砂漠をうろつき、休む場所を探すが、見つからない。それで、『出て来たわが家に戻ろう』と言う。戻ってみると、空き家になっており、掃除をして、整えられていた。そこで、出かけて行き、自分よりも悪いほかの七つの霊を一緒に連れて来て、中に入り込んで、住み着く。そうなると、その人の後の状態は前よりも悪くなる。
(「マタイによる福音書」第12章第43節から第45節)