俗物による自戒ノート。

家庭と仕事の反省点

順風満帆に見えていても。

順風満帆の人生に見えていても、人知れず悩みというものは持っているものだ。

 

特に、子どもや家族のこと。

 

障がいを抱えていたり、いい歳になっても働かずに実家で引きこもっていたり。色々ある。

 

仕事がバリバリできる同僚や優秀な旧友と飲んだおり、ふとそのようなことを漏らされると、ひどく混乱してしまう。

 

「実は子どもが……」

「そうだったのか……」

 

そのようなことが最近何件か続いている。

 

「実は子どもが」。そのように言ってくれるということはある程度その人から信頼されているからなのだろうが、そういう時にどのような反応が適切なのか、自分には判断できない。

 

慰めるべきか、幸せのかたちは多元的であるという話をするべきか、そもそもその話を掘り下げて聞くべきなのか。

 

いま考えると、もっとよく話を聞くべきだったと反省している。悩みを打ち明けるときに、人が求めているのはアドバイスや助言ではなく、静かに相槌を打って聞いてくれることであるという原則を思い出すべきであった。

 

混乱して、適切な対応ができなかったこと、後悔している。

 

傍から見て「何ひとつ不自由なかろう」と思うような人生を歩んでいる人とて、色々あるのだということ。そして勝手に「何ひとつ不自由なかろう」などと決めつけていると、いざ悩みや弱みを打ち明けられたときに、適切な対応がとれないこと。反省したい。