俗物による自戒ノート。

家庭と仕事の反省点

幸運の女神は澄ました態度を好まない。泥臭い熱意がお好みなのである。

仕事にしても、賭け事にしても、恋愛にしても。

その成否は究極的には幸運の女神が微笑んでくれるかどうかにかかっている。

ただし、幸運の女神を振り向かせるにはやれることは全てやっておく必要がある。人事を尽くして天命を待つ、という状態。最初から神頼みではいけない。

そしてまた、クールに決めようとしてはいけない。妙な謙虚さも必要ない。泥臭く、執念深く目標を追い求めるべきである。

「どちらでもいいんだけど、そちらから来るなら受けとってあげようかな」などという謙虚さは不用である。(この点、ハーレム系ギャルゲの主人公などは悪しき見本の典型である。)

金銭、恋愛、地位、名誉、勝負事…等々。あらゆる物事は追い求めてこそ与えられる。幸運の女神は澄ました態度を好まない。泥臭い熱意がお好みなのである。

「求めよ、さらば与えられん」という聖書の言葉がある。これは良い言葉だ。というのも、ここで言う「求めよ」というのは、

・真夜中に友人の家に行って
・パンを借りようとお願いしても
・「いやもう子供も寝てるし戸締りしてるから」と断られても、
・なお執拗に頼み込めば
・与えられるだろう

というくらいの激しさなのだ。
このくらいの激しい気持ちがなければならない。

『面倒をかけないでください。もう戸は閉めたし、子供たちはわたしのそばで寝ています。起きてあなたに何かをあげるわけにはいきません。』しかし、言っておく。その人は、友達だからということでは起きて何か与えるようなことはなくても、しつように頼めば、起きて来て必要なものは何でも与えるだあろう。そこで、わたしは言っておく。求めなさい。そうすれば与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。

※1年以上前にブログに書こうと思ってメモ帳に残しておいた文章(20180528に書いたと思われる)