頑張れば、誰かが見ている。
見ていないようで、見ている人は見ている。だから、必ず報われる。成果はどこかで評価される。ゆえに、腐らずに努力を怠ることなかれ。
、という言説ほど嫌いなものはない。端的に言うと欺瞞である。他人から見えにくい成果は、他人からの評価に繋がらないことが多いのだ。基本的に、表面上の数字しか見ない。その数字の背景を掘り下げる余裕や能力は、多くの人には備わっていない。
評価のしやすい営業だって、同じ数字をあげるための労力は、条件毎に異なる。(小金持ちのが多く住んでいるところは比較的契約が取りやすいのだ)
条件の悪いなかで契約をあげても、会社的は1件は1件。それ以上でもそれ以下でもない。(まず条件の良い案件を多く割り当てて貰うような社内の根回しが肝要。また、運も大事になる。小金持ちでも性格が悪い人達が群れている、という地域もある)
他人からの正当な評価は困難。ただし、だからといって、腐ることは間違っている。人間は、その与えられた能力・条件の限りにおいて、最前を尽くすように努める義務がある。
他人(人間)からの評価はあてにできない。しかし、お天道様は見ている。