俗物による自戒ノート。

家庭と仕事の反省点

家族は良い面ばかりではない。

娘と接していると家族とは良いものだと思ってしまう。けれども、親と接していると家族とは煩わしいものだと認識させられる。

 

どのような点で毒親なのかということに関しては、いくら筆舌を尽くして語っても他者には理解されない。親不孝だと思われるのみで、つまりは自分の評判が落ちるのみである。

 

だからこそ、ストレスが溜まる。

 

存在するのだ。確実に。虐待というレベルではないが経済的な部分で、精神的な部分で毒となる親が!

 

しかし、このことは世間からは理解されない。なぜなら親というのは無条件で子を愛するものであり、したがって子の親に対する不満というのはあり得ないものだという前提が、世間には根強くある。これは儒教的な思想によるものなのか。(この点で中国・韓国を蔑む本を見かけたが、とんでもない、日本もなかなかのものだと思う)

 

だから、多分に利己的な目的があるにせよ、家族からも縁が切れるものなんだよ、家族よりも大事なものがあるんだよということを説く宗教というのは一定の支持層があるのだと思う。

 

新約聖書を読むと、家族よりも神が大事なのだという箇所が出て来るし、仏法説話集である『日本霊異記』でも、家族に対してドライな対応をする話がおさめられている。

 

現代においても家族は重くのしかかる時がある。いわんや地縁的血縁的関係が強い古代・中世においては、家族という呪縛から解放されるには宗教の力がなければ難しい時代もあったのだろう。

 

家族からの隔離というのカルト宗教、マインドコントロール臭が漂うが、家族から逃避する手段としての宗教というのは無視すべきではない。