俗物による自戒ノート。

家庭と仕事の反省点

努力は評価されないが。

努力(=リソースの投入)自体は世間から評価されるものではない。結果をだしてナンボ。しかし、努力と結果は正の相関関係にあることは事実。ゆえに、進捗把握としてリソース投入量を中間目標とするのは的外れではない。

 

日本海軍が戦艦大和を建造する際、工程管理に大変苦労したようだが、リベット(≒クギ)の使用量を目安とすることで進捗を推し量ることができたという。

 

(完成に至るまで、リベット以外にも投入要素が数多あるなかで、敢えてリベットに絞って単純化した点が素晴らしいと思う。このあたりは『戦艦大和誕生』(前間孝則著)に詳しい。)

 

リベットの使用量自体は別に褒められないし、リベットを使用することが目的でもないが、それは結果への道標となる。リベットを使用するほど、完成には近づいていることは間違いない。

 

これと同じことが個人でもあてはまる。

 

なかなか成果が出ない、結果が残せない、という時期は気分が滅入る。当然ながら、努力していても誰も褒めてくれない。結果もでない、だから気分が沈む、働く意欲も喪失する……という悪循環。口の悪い上司からは「努力はエエから結果出せ!」などと罵られて益々嫌になる始末。

 

けれども、こういう局面においてこそ(褒められないから、評価されないからといって)リソースの投入は怠るべきではない。それ自体、賞賛されることではないが、初めに言ったように、リソースの投入と成果物の完成は相関関係にあるから。

 

最終目標を見失わないようにしながらも、心の中の進捗管理・中間目標としてはリソースの投入量(努力)というのは有効な目安。達成感を得ることもできる。(この達成感というのが相当大事なのである。)

 

戦艦建造のような製造業と、企画・営業などの非定型業務では性質が異なる部分はある。

 

しかし、過去の経験に照らし合わせて、平均するとどれだけの投入量でどれだけの成果が算出されるかというのはわかっているはず。案件毎に運や偶然に左右されることはあれども、才覚や気質は生まれ持ったものであり、平均化・単純化すれば概ねの予測はつくので。