俗物による自戒ノート。

家庭と仕事の反省点

妻の感謝を目当てに家事・育児をしてはならない。

 決して報われることはないから。

 

仕事の時間を抑えて、家事・育児に力を入れている。それでもやり方が異なると妻は不満を抱くものらしい。料理なども味が気に食わぬとか、洗濯なども干し方がよろしくないとか言って、わざわざ自分でやり直したりする。そして疲弊する。こちらに当たり散らしてくる。

 

こちらの家事・育児スキルが極端に低いのか、と一時自信を失いかけたこともあった。しかし、妻の母(義母)がしばしばうちに来るのだけれども、halberが行った料理や洗濯をやり直している様を見てたいそう驚いていた。「完璧ではないにしても、わざわざやり直しするほどではないでしょう!」と。(第三者に見てもらうというのは大事だ)。

 

つまりはなんでも自分のやり方でないと気が済まないのである。これは会社ではよくある光景である。責任感が強い課長が、うまく部下に仕事を配分できず、挙句どんな細かい仕事も自分で抱えてしまうという光景。そういう人物は最後には仕事量の多さに潰れてしまうか、細かい仕事に追われて重要な仕事を見逃してしまい、多大な損害を出す。

 

これは責任感の強さというよりも、無駄な完璧主義と他人を信じることができないという性分に端を発しているのだと思う。

 

すべての女性がこうだとは思わないが、家事・育児をやっているのに妻からは不満を言われるという声はよく聞く。しかし、何をしても文句を言う人は文句を言うからそう落胆する必要なし。妻からの感謝の言葉や気持ちを当てにして育児・家事をすることが間違っている。

 

「なら一体、何を心の支えに育児・家事をすればいいのか」ということが問題になる。

 

一つの回答としては、「それをする能力があるから」。仕事に加えて家事・育児をする能力があるのならそれをするのはもはや責務である。能力に応じて働くというのは、かの「ゴータ綱領批判」や神から与えられた能力を以って云々を説くプロ倫にも見られる考え方。

 

もう一つの回答としては、「自分の遺伝子を後世に繋いでくれる愛娘(息子)の利益に資するから」というもの。子どもの利益は、自己の利益に繋がる。このあたりはリチャード・ドーキンスの名著『利己的な遺伝子』流の考え方。