俗物による自戒ノート。

家庭と仕事の反省点

「35までに1000万。」の人。

 

掃除術・節約術などに関して参考にしている「35までに1000万。」というブログを久しぶりに読もうとしたところ、移転していた。移転先がはてなブログだったので早速読者登録した。

 

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このブログを初めて見たのは、約10年くらい前だったと思う。halberが就活などで色々と悩んでいた時期である。たしか、公務員試験関係の単語で検索したらヒットしたと記憶している(ブログ主の奥谷せりさんは学校事務志望で勉強記録をつけておられた)。

 

勉強記録はそれはそれで参考になったのだが、やはり目を引いたのはブログのタイトルである。

「35までに1000万。」

とは、あまりにもストレートでそれ自体に面白味がある。もっとも、これだけだと日経ウーマン読んでそうなお金貯めます系三十路女子のブログに過ぎない。そういう系統とは真逆を行くhalberが再度訪問することはなかったと思う。

 

真に興味をひかれたのは「お金を貯める理由」であった。曰く、「自分には心を患っている彼氏がいる。その彼氏を養うために頑張って働いて金を貯めるのだ」と。

 

まず自分のためではなく、誰かのために貯蓄するという利他的行動に感銘を受けた。そしてなにより、三十路女子が働けない彼氏のために頑張るという構図に、それはもう言葉では言い表せないような衝撃を受けた。モニターの前で涙を流したことを克明に覚えている。

 

一般的に節約系の三十路女子というのは利に聡い。一銭のお金も無駄にしないイメージがある。金銭的に極めて合理化された存在だ。有り体に言えばがめつい。がめつい三十路女子が跳梁跋扈するなかで、奥谷さんはニートの彼氏を養うために頑張っている。なんという殊勝な心がけだろう!こんな素晴らしい人がこの世の中にいるのか!……と、当時のhalberは考えた。同時に養われている彼氏のことを羨ましくも思ってしまった。

(こんなアホな考えに至ったのは、就活で数多の民間企業に落とされ無数の役所から不合格通知を貰って、自分自身ちょっとおかしくなっていたのだろう。)

 

その後、何年かに亘って継続的にブログを読んでいて、働けない彼氏のために頑張る奥谷さんを見て偉いなぁ、と思っていた。働けない彼氏よりも働く彼氏とくっついた方が経済合理的な行動だ。だからどこかの時点で奥谷さんは彼氏に愛想を尽かすのかなと思っていたし、そうであらねば世の中おかしいとすら思っていた。功利主義とか効用関数に毒されてすっかり憐れなエコンと成り果てていたhalberには、奥谷さんの行動は不合理なものか、そうでなければとても聖職者めいたひどく高尚なものに写ったのである。

 

けれども、奥谷さんは彼氏と別れるどころかついには結婚までしてしまった。志望していた学校事務に受からなかったため、ラブホでの清掃事務含むトリプルワークという過重労働までして夫を支えるのである。

 

衝動的な恋愛で一時絆されるのならいざ知らず、ここまで継続的に夫のために金銭的に尽くすというのはどういうことだろう。奥谷さんほどの方ならもっと良い結婚相手がナンボでもいるだろうに、と疑問に思ったものだ。どう考えても世間の行動原理に当て嵌まらない。事実、婚活市場ではすこしでも年収の高い男を探すべく三十路女子が日々蠢いているではないか、そんななかで、なぜ……。

という、いま振り返ると幼稚すぎる考えを持っていた。これがたぶん7〜8年前のことだろうか。

 

halberと同様の思いを抱いた人がいたらしく、しかもそれを奥谷さんにぶつけた人がいたらしく、ある日「自分の行動はそんなにおかしいかな」的な記事がアップされていた。

その反証として挙げられていたのは「男女逆ならよくある話ではないか」というものだった。曰く奥谷さんの職場には恐妻家の「カーミットおじさん」という人がいる。奥さんに働かされたりこき使われたりしている。カーミットおじさんに限らず男女逆ならよくある話と違うか……。該当記事を発掘できなかったが概ねそんな内容だったと思う。

 

そこでhalberはまた感銘と衝撃を受けた。なるほど、そうか。そうだよな。と。「蒙きを啓く」の言葉通りそれこそモヤのかかっている脳みそを雷で打たれたような気持ちがした。

 

経済力を持たない配偶者を養うというのはよくある構図である。そして当人はそれで満足しているというのもよくある構図である。経済力の有無のみがその人の魅力を決定するのではない。一緒にいる相手に金銭に限らず何かを与えることができて、相手がそれに価値を感ずるならば、それはそれでありやないか。……など。

 

言葉にすれば当たり前だけれども、社会学の本を手に取れば当たり前のように書いてあることだけれども、ともかくも、halberはそれらの概念を奥谷さんのそのエントリを読んだ瞬間に、それらの概念を血肉とした。

 

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先日、ベビーベッドで寝ている娘を眺めていると、妻が「将来、この子が生活力のないニートに惚れたらイヤやなぁ」と冗談めかして呟いた。

 

「この子がその相手とおって幸せなんやったら、それでエエやんか」との反論が喉元まで出かかったが、揉め事になるのも避けたいので「せやなぁ」と相槌を打っておいた。