俗物による自戒ノート。

家庭と仕事の反省点

本を買う金がないなら飲み会を我慢すりゃいいじゃん図書館で借りて読むなんてナンセンスでしょとかいう論調。

 

本は知性を磨くために大事なものだから是非とも買って読むべきである、という意見をしばしば見かける。本に線を引いたり、メモを書き込んだりして汚しながら読むと理解や思索が深まるというのが主な理由である。

 

それ自体には異論はない。けれども、世間の俗物サラリーマンは金がないのである。少なくともhalberにはない。専門書はおろけ文庫一冊買うにも真剣に悩んでしまう。

 

「本を買う金がない」というと、識者は飲み会を一回我慢すれば新書5冊は買えるだの服を買うのを我慢すればよいだのと主張する。

 

だがこれは世間を全然実態をわかっていない主張だと言わざるを得ない。

 

俗物サラリーマンにとっては飲み会も大事であるし、それなりに身奇麗にするのも大事なことなのだ。社会性の維持というのは、社会人の根幹部分である。我々は象牙の塔の住人ではない。小汚い格好をしていてはならぬと福澤諭吉翁も述べている。

 

──だからね、とにかくまず買うということを前提にしないと、少なくとも読書というタームズにおいては実り多いものは得られない。…(略)…。たしかにそれは本を買うのは安くないかもしれないですよ。最近は文庫本でも一冊五百円ぐらいするかもしれない。だけど、そうはいうけどね、「じゃあ、あなたが一日に吸うたばこいくらですか?二百五十円?二日やめれば文庫本が一冊買えるじゃないですか。そこでゴクゴク飲んでいるビールいくらですか?三百五十円?薄い文庫本なら一冊買えますよ」。酒も飲まない、たばこも吸わない私にとっては、こういうことなんです。

(p139)

 

そういうことをいうと、「先生なんかは経済的にお困りじゃないからそんなことがいえるので、私たち庶民はとてもとても」なんていってくる人もいます。特に主婦にそういう人が多い。そういう人たちに対して私はいいたいんです。「あなたはビール飲みませんか。たばこ吸いませんか」と。それから「一着服買うのを我慢したらね、十冊、本が買えますよ」とね。

(pp142-143)

 

主婦でなくてもそう思う。たまたま今読んでいる本が林望氏のものだったので引用させて貰ったが、同様の意見を書き連ねた本は枚挙に暇がない(佐藤優氏とか)。

 

もちろん、本の書き手(本を売る者)としてのポジショントークもあるのだろうが、彼らは真剣にこう思っているのだろう。こうして「知識人」と自分の置かれた俗世界の隔絶・分断を意識してしまうところに繋がる。

 

この手の人は、なぜか図書館の利用にも否定的である。

 

もしビールやたばこを読みながら図書館で借りて本を読む人があったらば、ビールやたばこはやめて本を買って読みなさい。…(略)…。図書館というものは、基本的には、辞典とか参考文献とか、調べものをする場所だと思います。だから本来は、ああいうところで娯楽のための読書なんていうものをサポートする必要はないと思うんです。(p144)

 

一応、著者の名誉のために断っておくと、「図書館で借りて面白かった本は買って手元に置いておこうね」という意見も述べている。halberはその意見に全面的同意する。にも関わらず、後段でこのような論調の文章が出てくるということは、本心図書館に対してどのように思っているかは推して知るべしであろう。

 

出版されたのが二十年前であるから、まだまだ日本という国家自体にも国民一人ひとりにも経済的余裕があった時代だからこその意見かもしれない。けれども、もはやそんな経済的余裕や社会的な寛容性が失われつつあるいま、日々の糧を気にせずに(あるいは日々の糧を得るための投資(飲み会だって、サラリーマンにとっては重要な社交手段である場合がある)を削って)書籍を購入し、読書に耽ることができる余裕のある人がどれだけいよう。(ここで、「自分はそうだ」と言い切れる人の才覚と環境を羨ましく思う)。

 

最後に、halberはこの本を図書館で借りて読んだ。敢えて書店で買い直そうとは思わなかった。余計な出費を抑制し、なおかつ有益な読書時間を与えてくれた地元の公立図書館には本当に感謝している。

 

 

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