俗物による自戒ノート。

特に、ままならぬ仕事、毒親からのストレス、神経質な妻そして愛しい子どもについて。

社会的弱者になるかもしれないという想像力。

 

社会的弱者(この上から目線の表現については他に適当な語彙力がないため便宜的に用いる)に対して不寛容なのは、自分もそうなるかもしれないという想像力が欠如しているから。

 

以前、あちこちの小さな駅などにエレベータが設置されるのを見て過剰投資ではないかという気持ちを抱いたことがあった。しかし、ベビーカーを押す立場になった今はその重要性が理解できる。階段どころか、ちょっとした段差ですら辛い。エレベータやスロープの存在はとてもありがたい。

 

事故・病気・事件など自助努力ではなんともできない不条理な出来事によって社会的弱者となりうる可能性がある。また自身はそうならなくても、自分の子ども(や身内)がそうなる可能性がある。

 

社会福祉については、常にそのようなことを頭に入れたうえで考える必要がある。その意味では、我々の頭には依然として無知のヴェールがかけられた状態なのである(既に取り払われていると誤認しているだけで)。