順調にいくということは、苦しみも増えるということだ。
財産が増えれば、強盗の心配をしないといけない。
それと同じこと。
順調に事が進めば、地位が上がったり名声が高まったり給料が増えたりする。
しかしそれは同時に、それらを失うことの不安を抱えることにもなる。
仕事がうまく進んでいるとにはついつい喜んでしまうが、このように考えてみると、果たしてそれが良いことなのかどうなのか。
家族にしてもそうだ。
娘の誕生と成長は、無上の喜びを与えてくれるが、しかし娘が不条理な事故や事件あるいは病にふせったときの悲しは想像を絶するものになるだろう。
だから、喜ばしいことは悲しみの序曲でもある。このことを肝に命じていれば、それほど一喜一憂することもなくなるはずである。
ものごとを学ぶ際は。
仕事にかんすることであれ、資格にかんすることであれ、なにかを学ぼうとするときは常に質問を意識して学習するとよい。
仕事にかんすることであれば、顧客や取引先からの質問を、質問にかんすることであれば、試験で問われそうなことを意識して学ぶということ。
わかりやすいのが資格試験であって、これは過去問を見ればどのような問われ方をするかがわかる。実は資格試験における過去問というのは知識を身につけるためというよりは、どのような問われ方するのかを知るためにある。
問われ方を意識してテキストを読むのと、ただ漫然とテキストを読むのでは効率が全然異なる。
人間である限りは万物を理解するのは困難なのだから、「問われ方」を意識して、理解の範疇を限定したうえで学習したほうがよいのはある意味自明のことである。
切り口が違えば、ものごとの見方も変わってくるものだ。たとえば、林檎について、我々はどのように理解すればよいのか。林檎を料理で使うためなのか、写生で使うためなのか、植物学の研究のためなのか……。切り口や目的によって、同一の物質・事象であっても見え方が異なってくるのである。
ただし、一部の天才は多数の切り口が同時に分析ができる。それでも、神でない限りは、林檎ひとつとってみても完璧に理解するということは不可能だ。
(追記)
端的に言うと、「インプットの際は、アウトプットを心がけよ」ということ。
人の人たる所以は何か。虚構を語る能力について。
言語である。
しかし、情報伝達手段としての言語ならば、他の生物とて使用している。(例:ミツバチ、アリ)
さらに、口頭言語であることも、人間特有というわけではない。人間以外にも多くの動物が口頭言語持っている。(例:サバンナモンキー、クジラ、ゾウ)
では、人間の言語の最大の特徴は何か。
それは虚構(現実には存在しないもの)について語る能力である。この能力のために、人は万物の霊長となった。ゆえに、この能力は人間として根幹部分である。
虚構──といっても嘘やデマという類のものではない。具体的には、宗教、国民主義やイデオロギーといったものである。これらは皆、実態のない「神話」である。「神話」を紡ぐ能力こそ、人間の根幹である。「神話」を前にしたとき、人間たちは赤の他人であっても恐るべき効率で共同作業を行うこととなる。
神話は、大勢で柔軟に協力するという空前の能力をサピエンスに与える。アリやミツバチも大勢でいっしょに働けるが、彼らのやり方は融通が利かず、近親者としかうまくいかない。…(中略)…。ところがサピエンスは、無数の赤の他人と著しく柔軟な形で協力できる。『サピエンス全史(上)』p40
近代国家に見られる「虚構」(「神話」)の最たるものがナショナリズムであろう。この「神話」のために、幾人もの見知らぬ赤の他人が恐るべき効率で協働し、他の生物にはなしえぬ生産を行い、そして破壊した。ナショナリズムの起源と正体について、『想像の共同体』において見事に描かれている。それは、実態ではなく、架空のものであり、近代になって形成されたものである。
人間は「共通の神話」によって能力を十二分に発揮し、他の生物を圧倒してきた。これこそが人間の武器であり、生物としての根幹である。
ゆえに、「共通の神話」に身を委ねることができない個体は淘汰されてきたし、これからもそうなるだろう。神話に身を委ねることのできない人間は、牙をぬかれた猛獣や翼をもがれた鳥に等しい。
これは現代になっても変わっていない。
つまり、その集団内で信じられている神話に歯向かう個体は、これからも行き辛い世の中であるということだ。こういう個体は、人間としての根幹部分の能力を脅かす存在なのだから。
神話の内容は、実際馬鹿らしいものだったりする。ヘンリー・タジュフェルの実験によれば、「赤色が好きな集団」くらいのものであっても、共通項ごあれば、ある種の身内びいきが発生するとのことだ。(馬鹿らしい!)
だから、会社において、馬鹿らしいなという習慣があっても、それが会社の「神話」になっているのであれば大人しく従うのが吉である。
どうしても不条理だという思いが拭い去れないのであれば、「ああ、これは神話だかれ仕方ないな」とやや冷めて目線で眺めながらも、表面上は従うしかあるまい。それが人間の生物的宿命なのだから。
借金玉氏の記事は、この構造を、平易な言葉でしかも面白く説明している。
会社や組織というのは一種の部族です。トライブです。そこにはそれぞれの文化があり、風習があります。
定本 想像の共同体―ナショナリズムの起源と流行 (社会科学の冒険 2-4)
- 作者: ベネディクト・アンダーソン,白石隆白石さや
- 出版社/メーカー: 書籍工房早山
- 発売日: 2007/07/31
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1歳児に励まされること。
娘に離乳食を与えていると、たまに食べ物をわけてくれる。「パパどうぞ」と、手を差し出してくる。
食べてあげると満足気。
うちの子に限らず、よくあることらしい。(ひよこクラブの記事やyahoo知恵袋によると)
今日も、娘が食べ物をくれた。
今日は、色々あって落ち込んでいた。
そんな自分を励ますように、「パパどうぞ」とされて、もう少しで涙しそうになった。(むろん、励ますことが目的ではないのだろうけども。)
とにもかくにも、自分はその娘の行動で励まされたことは事実。
1歳児の行動に大人が励まされることもあるのだ、ということが何より驚いた。
やらなければならないことを書き出してみる。
タスクに追われて、何から手をつけてよいのかわからない、というときは、メモに書き出してみるのが有効的だ。古典的な手法ではあるが。
頭が混乱しているときは、少しでも脳みその負担を減らすことが大事。どんな仕事を抱えているかを、外部媒体に預けてしまう(メモに書き出してみる)ことだ。
そして手をつけたら(完了ではなく、着手したらというのがポイント)、印をつけておく。こうすることで一定の達成感を得ることもできる。
あるいは、タスクを他人に振る(部下なり、派遣さんなり、外部業者なり)かどうかの判断を行うためにも、とりあえずメモに書き出してみることは有用である。
何が起こるかわからない。
10年5月、優希ちゃんを産んだ瞬間、希佳さんは誓った。「一生、ママが守っていくから。幸せにするから」。夫婦にとって初めての子ども。優希ちゃんは優しく賢い子に育ち、大きな病気もせず毎日元気に幼稚園に通っていた。
異変が起きたのは14年10月。嘔吐(おうと)や顔のむくみが数日続いた。風邪かと思い、岐阜市内のかかりつけ医に連れていくと、市民病院に行くように言われた。市民病院では「県立病院に」。検査を終えた医師は、夫婦にこう告げた。
「特発性拡張型心筋症です。今晩が山場かもしれません」
(朝日新聞)
このような記事を読むと、本当に何が起こるかわからないと思う。電車の中にもかかわらず、胸がつまってしまう。