俗物による自戒ノート。

家庭と仕事の反省点

1歳児に励まされること。

娘に離乳食を与えていると、たまに食べ物をわけてくれる。「パパどうぞ」と、手を差し出してくる。

 

食べてあげると満足気。

 

うちの子に限らず、よくあることらしい。(ひよこクラブの記事やyahoo知恵袋によると)

 

今日も、娘が食べ物をくれた。

 

今日は、色々あって落ち込んでいた。

 

そんな自分を励ますように、「パパどうぞ」とされて、もう少しで涙しそうになった。(むろん、励ますことが目的ではないのだろうけども。)

 

とにもかくにも、自分はその娘の行動で励まされたことは事実。

 

1歳児の行動に大人が励まされることもあるのだ、ということが何より驚いた。

やらなければならないことを書き出してみる。

タスクに追われて、何から手をつけてよいのかわからない、というときは、メモに書き出してみるのが有効的だ。古典的な手法ではあるが。

 

頭が混乱しているときは、少しでも脳みその負担を減らすことが大事。どんな仕事を抱えているかを、外部媒体に預けてしまう(メモに書き出してみる)ことだ。

 

そして手をつけたら(完了ではなく、着手したらというのがポイント)、印をつけておく。こうすることで一定の達成感を得ることもできる。

 

あるいは、タスクを他人に振る(部下なり、派遣さんなり、外部業者なり)かどうかの判断を行うためにも、とりあえずメモに書き出してみることは有用である。

何が起こるかわからない。

10年5月、優希ちゃんを産んだ瞬間、希佳さんは誓った。「一生、ママが守っていくから。幸せにするから」。夫婦にとって初めての子ども。優希ちゃんは優しく賢い子に育ち、大きな病気もせず毎日元気に幼稚園に通っていた。

 異変が起きたのは14年10月。嘔吐(おうと)や顔のむくみが数日続いた。風邪かと思い、岐阜市内のかかりつけ医に連れていくと、市民病院に行くように言われた。市民病院では「県立病院に」。検査を終えた医師は、夫婦にこう告げた。

 「特発性拡張型心筋症です。今晩が山場かもしれません」

 

(朝日新聞)

http://www.asahi.com/sp/articles/ASKB04CMZKB0UUPI004.html

このような記事を読むと、本当に何が起こるかわからないと思う。電車の中にもかかわらず、胸がつまってしまう。

おしなべて言うと

良いことと悪いことが半々に起きている。 

 

順調に行くと思ったことが不測の事態によってうまくいかないこともあれば、およそ成るはずのない案件が思わぬ幸運によってモノに成ることだってある。

 

ここで大事なのは一喜一憂しないこと。

 

失敗したなぁと思っても後々振り返れば失敗でなかったりするし、短期的に見てどうこう考えても仕方がないと思う。

 

なにが起こるかわからないし、とにかく一喜一憂せずに「自然」に逆らわずに生きるのが大事。

寂しい老後を迎えないための結婚。

「妻子のいない老後は寂しいぞ!」

「だから○○君も早く結婚しろ!」

 

結婚のメリットとして「寂しい老後をおくらないように」ということを挙げる人がいるが(特に男性側のメリットとして)、それはどうか。

 

介護施設に預けられて、妻子は滅多に会いに来ないかもしれない。子や孫は東京に出てしまって、結局のところ仲の良くない妻と二人きりかもしれない(しかも妻は要介護とか)。

 

煩わしい限りではないか。これなら独身貴族を貫いたほうがマシだったのでは?

 

そんな事例を、自分は幾つも幾つも知っている。だから、結婚のメリットとして老後の云々を語るレスを見るたびに、違和感を覚えるのである。

 

子の成長。

自分のリソースの大部分を注いでも惜しくない。それほど我が子の健やかな成長というものは嬉しい。

 

元来、子供が嫌いというよりも苦手で、親戚の集まりなとで子供の相手をするときなどは苦痛以外の何物でもなかった。

 

それが我が子はこれほどまでにかわいく思えるのだから不思議なものだ。

 

 

仕事に関して、褒められて喜んでいてはいけない。

褒められたら嬉しいのは人間の性である。しかしながら、こと仕事に関しては、それにできる限り抗うべきである。

 

なぜなら、褒められて嬉しいということは、自分の評価を他人に依存しているわけだ。だから、その人があなたを貶せば、気分は落ち込むというわけ。

 

他人の目を気にするな、というわけではない。傍若無人ではならない。けれども、根拠ももって喜ぶべきだし、根拠をもって悲しむべきだ。その感情を、他人に任せきりにしてはいけない。

 

他人に褒められても納得いく仕事ができなければ喜ぶべきでないし、他人から貶されても納得いく仕事ができたのなら喜ぶべきだ。